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安政の大獄(あんせいのたいごく)とは、江戸時代後期、幕末の安政5年(1858年)から翌年にかけて起こった事件。幕府の大老井伊直弼・老中間部詮勝らが、その施策「日米修好通商条約への調印および徳川家茂の将軍職継承」への反対派を大弾圧した事件である。弾圧されたのは尊皇攘夷派・一橋派の大名・公卿・志士(活動家)らで、連座した者100人以上にのぼった。 江戸時代後期の日本では外国船が相次いで来航し、中国がアヘン戦争で敗北すると対外的危機意識が高まり、幕閣では海防問題が議論される。老中阿部正弘が幕府政治を誘導して幕政改革を行い、1854年にはアメリカ合衆国と日米和親条約を締結させ、ロシアとは日露和親条約を締結する
安政の大地震(あんせいのだいじしん)は、江戸時代後期の1855年11月11日(安政2年10月2日 (旧暦) 10月2日)の夜10時頃、関東地方で発生した地震(マグニチュード6.9)である。この地震による災害は、1923年の関東大震災と区別する為に、1855年の関東大震災とも言われる。直下型地震であったと考えられており、江戸においては江戸城の石垣が崩壊し、本所や深川 (江東区) 深川など下町を中心に死者約4300人・倒壊家屋約1万戸など大きな被害があった。この地震で水戸藩主徳川斉昭の腹心で水戸の両田といわれたと戸田忠太夫、藤田東湖が死亡、更に、大番頭の逸見長道が死亡したとの説もある。